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2016年6月 3日 (金)

平和はみんなの願い

「よりよき生活と平和のために」
核兵器をなくすことはみんなの願いです。

生協労連の仲間が平和行進でも頑張ってくれています。
Coopaichi16601
国民ひとり当たりおよそ1万円が米軍に使われています。
これが戦争に使われるなんてとんでもありません。
こんな無駄遣いをやめさせるのも労働運動の大切な活動ですね。

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コメント

>国民ひとり当たりおよそ1万円が米軍に使われています。
>これが戦争に使われるなんてとんでもありません。

組合員ひとり当たりおよそ数千円が愛労連に使われています。
これの一部が平和活動に使われるなんてとんでもありません。
こんな無駄遣いをやめさせるのも大切な活動ですね。

 最近、批判的な書き込みが多いようですが、それに適切に反論できない様は、政権与党と同じように映ります。

 平和運動ではお金が集まらないから、組合活動に偽装して平和活動したい奴がお金を集めているようなもんだよ。
 組合員を食い物にして、資金を集めて自分がやりたい平和活動をしているだけだよ。要は組合に寄生して平和活動をしている奴らが結構いるということなんだよ。
 そうだろ。まぁ、本音は書けないか。www

いいえ。平和活動は労働組合にとっても重要です。

http://www.peace-forum.com/gensuikin/

1.原水禁とはなにか?(原水禁の組織と活動)

 原水禁は正式名称を原水爆禁止日本国民会議といい、1965年に結成された日本でもっとも規模の大きな反核、平和運動団体の一つです。全国の47都道府県のすべてに県原水禁組織があり、労働組合、青年団体など25の全国組織が加盟しています。(2001年1月現在)日常的に様々な市民団体や被爆者団体、労働組合、政党などと連携しながら活動しています。また、1999年10月22日には、「憲法擁護・平和・人権フォーラム」と「食とみどり・水を守る中央労農市民会議」が合流し、原水禁国民会議が団体加盟して、「フォーラム平和・人権・環境(平和フォーラム)」を結成しました。

 とくに、毎年3月(1954年に「第五福竜丸」がビキニ環礁の核実験で被爆した)には、静岡で「3・1ビキニ・デー」の集会を開き、8月(1945年に原子爆弾を投下された)には、広島と長崎で原水爆禁止世界大会を開催しています。このほか日常的に様々な活動を行なっています。世界の反核運動の仲間との国際連帯の活動、反核・平和を訴えるキャンペーン活動、脱原子力の社会をめざす様々な取り組み、被爆者の救援活動などが活動の中心です。
2.ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ(原水禁運動の歩み)

 1945年8月、広島と長崎に相次いで原爆が投下されました。熱線・衝撃波・放射能によって、広島・長崎の都市は廃墟となり、数十万人の住民(日本人だけではありませんでした)が被爆しました。死者の正確な数はいまだに不明ですが、多くの被爆者が放射能障害でその後も亡くなっていきました。犠牲者は被爆直後から、苦しいうめきの息の下から、残虐な原爆の廃絶を訴えてきました。しかし敗戦後日本はアメリカの占領下に置かれて、原爆の報道は禁止され、広島・長崎の被爆者の原爆をなくせの声は日本国内でさえあまり知られていませんでした。

 日本の原水禁運動が誕生した直接のきっかけは、1954年3月1日のアメリカによるビキニ環礁での水爆実験でした。このとき、焼津のマグロ漁船「第五福竜丸」に死の灰が降りかかり、乗組員23人が急性の放射線障害にかかります。第五福竜丸以外の付近で操業していた他の漁船の多くも被災し、毎日、陸揚げされた魚の放射能が測定され,次々に廃棄処分にされました。この様子は連日報道され、国民全体に大きなショックを与えたのです。こうした中で、原水爆の禁止を求める署名運動がはじまり、それはたちまち野火のように全国に燃え広がります。全国津々浦々の町、村、職場で「核実験反対」や「核兵器反対」の決議がされました。町内会、青年団、婦人会などの保守的なグループが署名運動の先頭に立ち、そこに労働組合や革新政党なども加わる文字通り全国民的な運動として展開されたのです。

 広島・長崎の被爆者の原爆をなくせという声と悲惨な被爆の実態が、この署名運動の過程を通じて国民に伝えられ理解されていきます。ビキニの被災によって巻き起こった「死の灰」への恐怖に、広島・長崎の悲惨な状況を知ることによって強まった反戦感情が結びついて、強力な原水禁運動として爆発したのです。

 ところが革新勢力の運動の高揚や東西対立の激化などを背景に、「平和の敵・アメリカ帝国主義の打倒」、「平和を守るソ連社会主義の核兵器・核実験支持」、「軍事基地反対、民族独立、安保反対を中心課題とせよ」といった主張をする勢力が原水禁運動を牛耳ろうとしました。運動に参加する幅広い層の「いかなる国の核実験・核兵器にも反対する」との要求や意見と真っ正面から対立し、それまでの原水禁運動の組織(原水協)は大きく混乱し停滞して、1963年夏の長崎大会はついに中止となり、組織は分裂しました。

 そうした中で、「いかなる国の核実験にも反対」する確固たる信念をもった広範な層が集まって、1965年2月、「原水禁(原水爆禁止日本国民会議)」を結成しました。世界の平和運動家バートランド・ラッセルなども「いかなる国の核兵器にも反対する運動でなければ平和運動ではない」と主張して原水禁の見解を支持してきました。
3.核と人類は共存できない(原水禁の主張)

 原水禁の運動は、核実験反対と核兵器廃絶・被爆者の救援といった当初の課題にとどまらず、いまでは原子力の「平和利用」も含めた、あらゆる「核」に反対する運動へと広がっています。結成時から長く原水禁の精神的な支柱であった、故森滝市郎原水禁議長の「核と人類は共存できない」という言葉に象徴されるように、私たちは人間と「核」が絶対に相容れないものであるという立場に立っています。核兵器であれ、発電用の原子力であれ、私たちはあらゆる「核」を完全に否定しているのです。
核兵器の廃絶をめざして

 現在、私たちの核兵器の廃絶を求める運動にとって、またとない機会を迎えています。国際司法裁判所が核兵器が国際法に違反するという勧告的意見を示し、私たちの長年の要求であった包括的核実験禁止条約が成立しました。以前からの反核運動の仲間だけでなく、これまで核政策の中心にいた人々の中からも核軍縮を求める声があがっています。核兵器への包囲網がかつてなく強まっているいまこそ、私たちのもつ力のすべてを注いで核兵器廃絶へ向けた動きを一歩でも二歩でも進めていきたいと考えます。
脱原発の世界をつくる

 チェルノブイリ原発の事故を見ても明らかなように、原子力を利用した施設ではひとたび事故がおこると、莫大な被害をもたらします。いかなる安全対策を施したとしても人間が動かすものである以上、絶対に安全ということはあり得ません。技術を過信し、原子力を人間が完全に制御できるという傲慢な発想に対して、私たちは警鐘を鳴らしてきました。とくに日本では、危険なプルトニウムを利用した核燃料サイクル計画が強引に推し進められようとしており、私たちはこれに強く反対し、脱原発の世界をつくりたいと考えています。
ヒバクシャとの連帯

 現在、世界には多くのヒバクシャが存在し、その数は2500万人以上に及ぶといわれています。広島・長崎のヒバクシャは半世紀をへてなお後遺症害に苦しんでいます。その一方でチェルノブイリなど原発の事故によるヒバクシャ、ウラン採掘地周辺や核実験によるヒバクシャ、核兵器の開発にともなうヒバクシャなど、新たなヒバクシャも大勢生み出されてきたのです。私たちは世界のヒバクシャとのネットワークを強化し、世界の反核・非核を願う人々との共同行動を追求しながら、核のない世界をつくりたいと考えています。
原水禁のシンボルマーク

 原水禁のシンボルマークは、広島市平和公園の慰霊碑を参考に、粟津潔さんが1966年にデザインしたものです。1929年東京生まれの粟津さんは、日本におけるグラフィック・デザインの基礎を築いた人として著名ですが、絵画、ポスター、版画、建築、音楽、映像、演劇など、その関心と思考の幅は広く、表現の境界を越えて、現在も第一線で活躍されています。

 原水禁が1965年に発足して以降、多くの文化人が賛同し、関わってきました。原水禁大会で林光さん作曲の「原爆小景」が演奏されたこともあります。粟津さんも原水禁の趣旨に賛同して、このデザインを制作されたのです。このマークは66年の世界大会で紹介され、以来、原水禁のシンボルマークとなりました。
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原水爆禁止日本国民会議
〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台3-2-11連合会館1F 地図
TEL:03-5289-8224 FAX:03-5289-8223

1961年、原水禁7回大会は、「最初に実験を開始する政府は平和の敵、人道の敵」と決議したが、その直後の8月30日にソビエト連邦が核実験を再開した。これに対する対応をめぐって原水協は、ソ連政府にも抗議せよとする日本社会党(現・社会民主党)・総評(日本労働組合総評議会。現・連合こと日本労働組合総連合会)系と、抗議に反対する日本共産党とが対立した。

翌1962年、8回大会の最中にソ連は再度の核実験を行い、再び昨年と同じ衝突が起り、結局大会は混乱したままに終わった。日本共産党系代表は「核戦争の根源であるアメリカ帝国主義を日本やアジアから追い出せ」と、ソ連の核実験に対する批判をしないばかりか、むしろそれを擁護したまま、反米を中心に置いた反安保・基地闘争も視野に入れた主張をした。

1963年に、日本社会党・総評系グループが「いかなる国の核実験にも反対」[1]のスローガンを旗印にして部分的核実験禁止条約の支持を要求した。当時、ソ連は中華人民共和国との関係が悪化しており、核開発で先行していたソ連は中華人民共和国の核保有を妨げたいとの思惑から、同条約の締結を推進した。

これに対して日本共産党系は「地下核実験を条約によって認めることになる」として当条約に反対したにもかかわらず、同時に「社会主義国の核兵器は侵略防止のためのもので容認すべき」という主張をした[2]。当時日本共産党は中国共産党との関係を深めていたので、中華人民共和国に配慮して同条約に反対したと言われる。

このため内部対立が起き、1963年の大会は流会。共産党は、「意見の違いにかかわらず『核廃絶・核戦争阻止・被爆者救援』の三点で統一するべきだ」と主張したが、結局、社会党系グループは脱退して、1965年2月に原水爆禁止日本国民会議(原水禁)を結成。以後、原水禁世界大会も、原水協系と原水禁系の2つが別々に開催されるようになる。

原水爆禁止日本協議会側は最悪だよな。
ソ連の核実験に対する批判をしなかったのは、平和団体として最悪だよ。

よく勉強をしている共産党のみなさんは、暗黙のうちに事実として知っていると思うけれど、原水協は、ソ連など社会主義国の核実験は平和のためだとして肯定したことがあります。そのため、社会党系などがそれに反発し、原水禁として分裂しました。「そんなはずがあるものか」と共産党のことを信じて疑わない党員の方は、自分で調べてみてください。
共産党が、ソ連の核実験は平和のためだと肯定した事実は、例えば、1962年の「前衛」10月号を見れば分かります。上田耕一郎元副委員長が自ら論文の中でソ連の核実験を肯定しています。
青瓦台事件のときは、当時の赤旗記事を「当時の北朝鮮との関係の中での一時のまちがい」みたいな評価で逃げていましたが、ソ連の核兵器肯定については、大々的なキャンペーンがあったし、上田さんも論文に書いているので、言い逃れはできません。
共産党の方々は、ソ連の核を肯定した事実を現在改めて公に認めるのは抵抗があるためなのか、それについて正面切って議論をしようとはしません。議論をすれば、、隠蔽したい当時の資料に触れざるを得なくなるから、都合が悪いのでしょう。
現在から見ると、社会主義国だからといってソ連の核兵器を認めるということは、言語道断でしょう。それこそ、偏った運動だと糾弾されます。現在、どう当時のことを弁明しようが、説得力を持つことはできないでしょう。議論をすれば負けます。だから、共産党は当時のことに触れたがらないのです。
でも、いくら共産党が議論を逸らそうとしても、ソ連の核を認めたことや、それによって運動が分裂した事実は事実としてあるわけです。まさか、今更、「そんな党史はない」なんて、歴史を捏造することも無理があるでしょう。せいぜい、「平和運動を進める党に対する悪質な反共攻撃だ」などと主張するのが精一杯でしょう。

 暴力革命は必要だろ。キューバを見ろよ。バティスタ政権を倒したフィデル・カストロの武装闘争は必要だったろ。
 暴力革命を放棄したらダメだろ。バティスタ政権のままのキューバが幸せだったはずがないだろ。必要な時は暴力革命を目指すのが責任ある政党だろ。

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